「多様な働き方」について、この5年間を振り返って思うこと

昨日、一般社団法人at will workの年次コンファレンス、5回目が開催され、Webで視聴しました。5年間という時限的にスタートした法人なので、コンファレンスはこれが最終回。初回からずっと取材させていただいたので、感慨深いです。コロナ禍の影響もあり世の中の働き方は大きく変りました。今年は確実に「節目」になると感じています。

2017年2月に初めて、at will workのコンファレンスを取材したとき、私は「働き方にモヤモヤする」当事者であり、「多様な働き方の実現に寄与したい」と編集者・ライターとしてRe Startを切った頃であり、同時にキャリアコンサルタントとして活動を始めた頃でした。

その数ヶ月前には、かの有名な「LIFE  SHIFT」が発売されて、「人生100年時代」というバズワードが脚光を浴び始めており、働き方や生き方を見つめ直す「観点の多さ」に、日々圧倒されていたように思います。

当時を振り返ると、2016年〜17年当時は、リモートワークは外資系企業など一部の限られた企業の特権で、そんな働き方をイメージすらしたことが無いという人が、大多数。私も、どちらかというとそちら側にいて、そこから脱却したいともがいていました。

女性活躍推進法、なでしこ銘柄など、女性の働きやすさを底上げする政策が次々と打ち出されました。女性の管理職比率を上げるためのクオーター制度や、それに対して「下駄を履かせる」と揶揄する風潮もあったように思います。また、イクメン・イクボスアワードが開かれ、育休を取得した男性社員が表彰されたりもしたけれど、実態を聞くと出世コースからは外された方も多かったようです。

その後、副業のモデル就業規則が発表されたり、働き方改革法(有給休暇取得の時季指定、残業時間の上限規制、同一賃金同一労働など)が成立し、ルールはどんどん整えられてきましたが、

これまでの「働き方改革」というものは、急速に進む人口減少と高齢化およびGDP低下という経済施策の延長線上で国策として打ち出されたものだった。この5年間の最大の特徴は、この点ではないかと思っています。

それを福祉的に享受したいと願う人、自らの働き方を変えるためのテコにしようとする人、長時間労働をなんとか是正しなければと動く企業、事業成長あるいは事業転換のために不可欠なものとして捉える企業、

個人、組織が、さまざまな捉え方、それぞれの動き方で、徐々にダイナミックに変革が始まった、これまでの5年間。働き方や生き方を「再定義しよう」という機運は高まり、コロナの影響も相まって、働き方や生き方を「選べるなら選んでもいいのだ」という認識も、一部では一般化したと思っています。(逆に、格差的なものが広がったような気もします)

 

けれども、例えば男女平等に働ける世の中という観点では、かなり不十分なところはあるし、個人的には数十年かけて世代交代していかないと、変わらないだろうなと思う。だって男女の生涯平均年収は1億円も格差がある。同じ学歴だったとしても。これが数年で埋まるだろうか。いや、そもそも、格差を必ずしも全員が埋めにかかる必要はあるのだろか?それこそ、納得して選べばいいのでは。

ここ数年でテクノロジーもどんどん進化して、2030年頃?のシンギュラリティに向けて、ますます変化は加速していきそう。一方で地球温暖化現象や、ゼロエミッションへの取り組みも、この10年が正念場。自分の子供が成人する前に、地球が壊れることが確定してしまうような、社会人そしてそんな生き方をしてよいのだろうか。

 

これから先の5年間は、加速度的に社会が変わっていく中で、実際に何をどう選んでいくのか、その指針になるような多様なロールモデルが、求められてくるのだろうなと、昨日のコンファレンスを聴きながら思いました。

例えば、「無駄なことをしていたんだ」と気がついて、「無駄をどんどん省く」ことをテーマに、時間や労働力の使い方を見直していこう、とか。日々の外食を抑えて、旅行先で地方にお金を落とす額を増やそう、とか。いま新興SNSの勢いもすごいですが、突然訪れるチャンスに対していつでもreadyな状態をキープできるよう、働く量を減らそうとか。

働く場所、時間の使い方、雇用形態、といった物理的なカタチのみならず、お金の使い方、仲間の見つけ方、参政のあり方、多様な行動やその背景にある価値観を知り、自分にフィットするものを選び組み合わせていく力が必要になるでしょう。

働き方改革関連法の施行が始まった2019年頃から、個人的には「個人も組織も、ありたい姿を描き、それに近づくために自律的に変化していくことしか、やりようはない。メディアにできることは少ない」といったんは考えて、働き方に関する発信意欲がかなり低下していたのですが、

多様な価値観に触れる機会を創出する、という点では、メディアが果たすべき役割は大きいのかもしれない、、、と考えを改め始めている今日この頃です。