連載【共働き夫婦「家事育児の分担」を円滑に】vol.7では、家事育児を「タスク」と捉えない幸せについて、考えてみたいと思います。
連載vol.4〜6では、家事育児分担のよくある打ち手について、メリットとデメリットを挙げてみましたが、いずれの場合にも、家事育児を「単なるタスク」と捉えることで、何かしらの豊かさまでも手放しているのではないかと感じたのです。
家事育児って何だろう
vol.4では、「妻はマネージャーとして家事育児を全体的に管理し、司令塔となってタスクを夫に命じるパターン」について、考えてみました。
このパターンでは、自らマネージャーとして全体最適を図ろうと腰を据えることで、パートナーに対する批判や怒りをマネジメントできるというメリットがあると思います。
vol.5では、「家事育児のタスクを洗い出して、それぞれに割り振ることで、家庭を円滑に運営するパターン」について、考えてみました。
このパターンには、家事育児の分担について、具体的で建設的な議論に発展しやすく、“名もなき家事”にも気がつけるなどのメリットがあると感じています。
vol.6では、テクノロジーの導入や、掃除や子供の送迎などを他者にサポートしてもらって、家事育児の負担を軽減する「家事育児のアウトソース」について、考えてみました。
家事育児のアウトソースは、直接的に可処分時間を増やすことができ、日々の暮らしにゆとりが生まれるほか、無意識のバイアス(性別役割意識)に気づくチャンスにもなり、とても有益な方法であると改めて思いました。
けれども、そもそも、家事育児って何なのでしょう。
暮らしや人生そのものではないでしょうか。
家事育児の分担を突き詰めて考えれば考えるほど、
仕事を起点に暮らし方を決めていくのは、どこか不自然があるのでは、と考えるようになりました。
「家事育児をタスクとして捉えすぎではないだろうか?」
「何かしらの豊かさまでも、手放しているのではないだろうか?」
という違和感を感じるようになったのです。
家事育児を「タスク」と捉えない幸せ
連載vol.1から問題提起しているように、共働きはすでにマジョリティであるにも関わらず、家事育児が女性に偏りすぎています。これはぜひとも、是正していきたいと思います。
けれども、パートナー(多くの場合は夫)に「もっと家事育児のために、時間を作って欲しい、仕事(業務)をコントロールしてほしい」と要求することは、いまの社会では妥当でないケースもあるようです。
所属する会社や組織が、ある意味「許して」くれなければ、家事育児の時間を取りたくても取れません。仕事で疲労困憊して、家事育児に使う体力気力が残されていない、できたとしても真夜中だという話も聞こえてきます。
ややもすれば、家事育児分担を夫婦で平等にしましょう、という働きかけの裏側に、「私の苦しみや大変さを、あなたにも味わって欲しい」といった、ある種の呪い的な要素があるとしたら、それは家族として幸せなのでしょうか・・・。
家事育児の分担について話し合う前に、「どんな暮らしを送りたいか、どんなキャリアを歩みたいか」や「どんなことに困ってるのか」など、お互いの思いや状況をオープンにして対話することが大切です。
そのうえで、自分たちの理想的な暮らしのために、どんな家事育児のあり方が最適かを見つけていくことこそ、家庭運営そのものなのではないでしょうか。
暮らしの中の学びを取りこぼさないために
暮らしの中には学びがあります。
家族というチームをよりよくするために、それぞれがどのように振る舞うべきか、
何のために、どのように、お金や時間を使っていくべきか、
心身の状態を損なわないよう注意しながら、最大限にいまやりたいことを楽しむために、睡眠・休息や食事をどのように取るべきか、
などなど・・・
他者と協力して、きちんと暮らす力を付けることは、人生100年という心身のメンテナンスが極めて重要になるこれからの時代、とても大切なことです。
働く期間がいまより長くなることは、ほぼ確定しています。私たち親世代も、早くから意識するに越したことはないですし、
ましてや、テクノロジーの進化や地球環境の変化(食糧危機、人口増加など)が、さらに激化するであろう未来に社会へと羽ばたく子どもたち世代に、
何を優先して教えるべきか。
それは、これまでの仕事中心で、家事育児を「タスク」と位置付けたり、家族の時間をなおざりにしてしまうような暮らし方では、決してありません。
家事育児をうまく効率化することと、豊かな生活のための手間を惜しまないこと。
これからの共働き家庭に必要なことは、このバランス感覚であるように思います。
vol.8 — 可処分時間の「不公平感」 は、こちらに掲載しました。
▼連載初回では、「共働き家事育児」の総論(まとめ)を図解しています。